



山口家住宅に茶人であった先々代がつけた庵名。苔の香りのする住まいとの意。扁額は上村松篁筆。
平成13年まで住まいとして使用し続けておりましたが、先代が隠居場を別棟に持ったため、現在は限定したなかですが、公開可能となりました。庭は杉苔を中心に数十種類の苔に覆われ、実生草木には四季折々の花が楽しめます。春の桜と新緑、5月の萌える苔と霧島つつじ、秋の千両、万両、特にもみじの緑、黄、赤の競演。晩秋はもみじの絨毯が楽しめます。
山口家
山口家は桃山時代の天正年間(天正元年1593)に加賀より移住し江戸時代は当松尾、下山田村の庄屋を務めた士族。約400年、当代20代目。戦国時代のこの地を支配した公家葉室家、徳大寺家に仕え客員、家老よりも高い地位の財務を司っていた。東京遷都に伴い葉室家がこの地を去られたため代わってこの地域を管理し、代表する家となった。北200mには葉室家の菩提寺である浄住寺がある。当時の管轄区域は東西は桂川西岸から西山山麓まで、南北は松尾から山陰街道(9号線)まで。
山口家住宅
長屋門 建築面積 63㎡ 19坪 茅葺(草葺)
江戸後期 琵琶湖のよし(葦)を使用した八間にあまる草葺屋根
内側には下屋がついており農事の作業場、物置、一部下男部屋があった。
現在は近隣の農家より廃業時に分けていただいた農機具、民具が収納されている。
主屋
建築面積153㎡ 46坪
当初は九六(九間×六間のつのや造り)
江戸末期嘉永2年~明治8年に建て替えられたもの
桟瓦葺き切妻屋根のつし二階建て
居室は土間に添って一列に並べる町家の平面構成
玄関につるしてある篭は当主より三代前の山口定光が朝廷に勤めておられた葉室氏のもとに上京する際に使用したもの。
座敷棟
大正~昭和初期に亀岡市曽我部町の原田源之助宅として建設。
昭和28年に総工費260万にて山口家に移築
入母屋造りの近代の和風書院建築
6月と9月に建具の建て替えをし、夏は葦簀格子と竹のあじろ(国内織)敷く
10畳間の天井板はさつま杉の一枚板
釘かくしは曼珠院の富嶽八景の写し(泥七宝)磯村作
欄間はすべて違う種類の木で組んである。
4畳半の床柱はこぶし。
3件は平成11年11月18日文化庁登録文化財指定を受ける。
茶室 西芳寺の茶室、少庵堂の写し
京都西山の自然との調和と共にくらしは受け継がれてきました。
明治・大正期には特産の良質の竹を加工生産し、春には筍を出荷、初夏にはお茶を摘みと製品化、梅干等の梅仕事、秋には自家用に松茸、柿、柚子など収穫をしていました。それらは季節を教えてくれました。
母屋棟、座敷棟の建具替え時期は季節と相談し行われます。
またその時代を映す衣類、道具類が数多く残されております。
旧住所山城国葛野(かどの)郡松尾村山田の当地では、京都市内の商家と同様に農業を中心とした古くからのしきたりが多く残されております。
わが家は古くから京都の西山の麓に住み、庄屋を営んできました。
長屋門は江戸後期、母屋棟は同時期の町家造りと農家造りの折衷建築で、代々暮らしを伝えてきました。
平成11年に国登録有形文化財になり、父が他界したのち、20代目として私がこの家を引き継ぐことになりました。単身、まず考えたのは、この家が一番イキイキとする方法に自分の暮らし方を合わせようということでした。そして決めた事は100年前の暮らしをしてみようということでした。
京都では「家のつくりようは夏をむねとすべし」と言われるよう、京の町家は夏を快適に過ごせるよう様々な工夫があります。風の通り具合、視覚と音の涼しさ、打ち水などの習慣。
わが家も、梅雨入り前に夏の建具替えをし、実際に何室かに設置してあったエアコンの無期限使用停止にしました。その結果、開け放たれた家では猛暑にも関わらず、軒の深さと周囲の緑にも助けられ、扇風機のみで過ごすことができました。時折家内を通り抜けると冷~として風には自然の優しさと有難さを感じます。
夜は窓を開け放ち、蚊取り線香を焚き、寝床には蚊帳を張ります。
部屋に家具を置かないのも昔の生活です。今ほどモノがありませんでしたし、自然を上手く取り入れていく生活には今のような便利なツールは必要なかったように思います。
食器は最小限で事が足り、部屋ごとに壁に組み込まれた納戸や戸棚や水屋があり、本来の部屋のスペースを有効利用できるようになっていました。
昔の食は、残された台所用品から推測すると食品を乾燥、塩蔵、醗酵させて保存し米食と組み合わせていたと考えられます。米と野菜と豆を加工保存する用具用品が多く残っています。
今も春先の筍、梅雨の梅、夏の家庭菜園、秋の柿、冬の柚子などが手に入ります。
昔、当たり前に庭先で収穫していた食環境は今ではチョット贅沢になっています。
水は京都西山からの井戸水が今でも豊富に湧いています。年間を通じて14度の水は冷たく、冬はお湯のように温かく感じます。その井戸水は風呂、洗濯、食事にと、フル活用しています。
おくどさん(竈)も健在です。雑木の薪を集め、井戸水を使ってお湯を沸かし味噌汁を作り、米を炊く。
昔の当たり前の食生活が貴重な体験になるとのことで、時折「おくどさんでご飯」という体験会を開いています。
冬の寒さは辛いです。すき間風の通る家ですので家全体を温めることはできません。
また、どこか一室を暖房しようと閉めきった場合(夏の冷房も同様ですが)空気の流れが止まり温度差、湿度差が生じるのでわが家のような家には向きません。建具や畳の傷みやカビの元となり家全体の歪みや腐食につながります。幸いなことに窓の結露は起こりませんが。冬を過ごすには着込む、動く、部分的に温める、そして寒さに慣れることです。夜は布団を事前に温めます。明け方の室温は外と同じくらいになっていると思います。
あまり風邪をひかないのはこういう生活をしているからでしょうか。
夏は暑く、冬は寒く、虫と共に生活し、雨漏りしたら都度修理し、家の中でも屋外と同じような環境で一年を通じ生活していますが、家との会話は楽しいものです。
昔の生活の実践とは、文明の利器をちょっと我慢し不便を感じながら、一方では自然に逆らわないことによりその恵を感じ、忘れていた人間らしい生活が味わえることにあるように思います。
建造物や空間を実用途で「活用」し、その取り組みを発信することが何よりの文化財の保全だと考えています。2019年より合同会社achicochi社と協力し英語での情報発信に着手しました。海外から京都にワーケーションで訪れるデジタルノマドたちに向けたシェアハウスを立ち上げ、居住者は苔香居をコワーキングスペースとして使用しています。
京都に1ヶ月以上滞在する外国の方々は、短期の旅行で味わう観光とは違った「暮らし」を求めて訪れます。
2024年には古民家魅力発信推進協議会の協力のもと、英語に加え中国語(簡体・繁体)、韓国語、フランス語での解説に取り組み始めました。
苔香居の利用は紹介制となります。ご興味のある方は市民団体「みんなで苔香居の活用を考える会(みんたい)」よりお問い合わせください。